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作曲講座

:現代アートと音楽

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音楽とアート

現代アートとは何でしょうか。絵画や彫刻であればルネッサンス期やバロック期を、音楽であれば古典派からロマン派を頂点に、伝統ある系譜がしっかり出来あがってきたのですが、20世紀に入りそれが半ばくらいになると果たしてどのジャンルが、なんという作曲家が、正統的な継承者であるのかがボヤけてしまいました。

20世紀後半に入りますと、ミニマル・アートですとかコンセプチュアルですとか、「ああ、そこそこ考え抜かれているな」と思える作家さんもいれば、下手な作品に、都合の良い言葉をぶらさげただけの胡散臭い作家さんも目立つようになってきました。マルセル・デュシャンをはじめ、20世紀の初めあたりまでは、何をやるにも伝統が見え隠れしていましたから、作品もハッとさせられるものが多かったですが、今はとにかくレベルが低いです。

たとえば以下の曲を聴いてみましょう。

正直なところもっと無愛想なのが30分ぐらい続きますが、これでお金はとれません。アート系は音楽にしてしまえば、この程度の作品が多いですね。コンセプチュアルという言葉を殺し文句にして、なにかしらを成立させようともくろんでいます。こういったものが正しい音楽、芸術と言われたなら、文化は廃れてしまいます。はたしてこれらの作品に欠けているものは何でしょう。

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現代も昔も本質は変わらない

それは"構成"です。現代はこのおそろしく単純明快な要素の評価基準があやふやです。様々なコンクールの曲を聴いてもそう。かなり大雑把にいえばですが、先の音楽のような、いきあたりばったりな曲が多い。もちろん食わず嫌いもいけません。かの武満徹さんの作品の断片を拾って「スケールや計画性に欠ける」、「旋律性がない」などと論じるのは早計でしょう。でも先の音楽のようなものをもってショスタコービチのような斬新さがあるなんていう「とんでもない評論」がついてしまったりすれば、悲しいでしょう。

ごちゃまぜにしないこと。断片を論じる時もすべてに目を通すことです。前述のデュシャンという芸術家に「泉」という作品があります。(名前は爽やかですが実は便器にサインがしてあるだけ)。さらにもう一つの代表作の「大ガラス」も郵送事故にあい破損したまま展示されて喝采を浴びたそうです。リンク先のページは実に分かりやすく解説してありますが、(便器は極端ですが)彼の難解な作品に至る道は勉強の積み重ねです。(外部リンク:マルセル・デュシャンと現代アート

そのくらいなら「俺にも分かる」と思われるでしょうが、フィールドペインティングのロスコーや構成主義のモンドリアン、アクションペインティングのポロックあたりが出てくると「どれが優れているのか」という判定には難儀することでしょう。

理解できない分だけ音楽も絵画も行き詰ってしまうのですが、たとえば以下の自作曲「Over the century, era of New Romanism」の1フレーズを聴いてみましょう。

私は音楽も絵画も同じだと思います。構成は構成でもその内容が大切です。ドイツの重さとでも言いましょうか。現代的アプローチのなかにも、理論を超えた本質を封じ込めていかないとなりません。(絵画で例えると)フィールドペインティング系の人たちが超えられない壁があるように、やはり未熟な音楽家さんたちが集まってセッションをやっても、破れない音の壁があります。それは音数の問題ではありません。名人は深い部分を知っているのです。微妙な差と思うかもしれませんが、実は圧倒的な差なのです。

本サイトのテーマであるクラシック、とりわけ古典派やロマン派の音世界は「カリグラフィ」などのようなソロワークとも違います。アンサンブルでありオーケストレーションであります。構成であり、色彩なのです。訓練を重ねていくと、作品ごとの差が認識できるようになります。その後で独自のアプローチを考えれば良いのです。アプローチと本質はあまり関係ないですし、どのような手段でもそこに本質があれば素晴らしい音楽や絵画になりますから、本質を掴んだ後に、踊ったり跳ねたりすればよいのです。それが個性です。モーツァルトやベートーベンの評価はまったく変わらないように、現代も表現は多様化していますが、今後も音楽の本質が揺らぐことはないでしょうが、順番を間違わないことです。それはテック業界でアプリを作る時であれ、将棋指す時であれ、あらゆる場面で同様です。まずは勉強です。ずっと勉強です。最近は勉強の足りない人間が多すぎるのです。

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